遠
雷
◆
◆ ◆ ◆ ◆ 蝉の鳴き声が遠い。 それも当然だろう。傍には電柱もな
く、木々も無い。蝉が止まる場所が無いのだ
から。 「ねぇ」 買い物袋を提げた少年が、隣を歩く青年に声をかける。少年以上に荷物を抱え、彼らよりも
先を歩く女性を追っていた青年
だが、彼の声掛けで歩む速度を緩めた。 「どうしたの、佳主馬くん?」 柔和と言うよりも、臆病さを滲ませ
た瞳が少年へと向けられる。ビ
ニール袋が歩くたびにカサカサと音を立て、それが夏の暑さに苛立つ心を更にざわめかせるが気づかない振りをしてやり過ごす。 「雷、
聞こえなかっ
た?」 微かに聞こえた、雷の音。気のせいかと思ったが、ただ歩くよりは話を振って気を紛らしたほうが熱さも少しは和らぐかと思っ
た。 夕
暮れにはまだ時間の余る昼下がり。明日帰る予定の青年の為に、ぼろぼろになった家屋の中でまた宴会を開くといった大人たちの都合で買い物に出され、彼らは
その帰り道だった。 「雷? どうかな……ちょっとぼーっとしながら歩いてたから」 「気のせいかもしれな
いけど」 気の抜けた
表情をしているのはいつものことではないのか、という言葉を飲み込んでそれだけ答えると、佳主馬は青年へ目を向けながらもその先へ視線を走らせる。 遠
かったはずの入道雲が、先ほどよりも近づいたように見えた。 「あの雲」 指で指し示せば、青年も振り返っ
て雲を視界に収める。少し目を
細め、雲の細部まで見ようとするその姿を見つめつつ、少年もまた内心で溜息を吐き出す。 何に対しての溜息なのか、彼自身わかって
いないが。 「確
かにおっきな入道雲だけど、あれが雷鳴らしてたとしても聞こえるものかな?」 「知らない」 青年の言葉通
り、距離は相当離れている。そ
れでも、辺りには他に雲もなく、憎たらしいほどに眩しい太陽が日差しを降らしている中、雷を鳴らすとしたら話題の雲以外にないのだ。 「い
いよ、
気のせいだったのかもしれないし」 話題を終わらせて別の話を振ろうとするが、青年は先ほどよりも歩む速度を落としながら袋を持っ
た手を自身の顎
に運んでぶつぶつと何か考え始めてい
る。耳を立てれば音の速度やら何やら、と呟いているので少年の言葉を鵜呑みにして距離がどのくらい離れているのかを考えているらしい。 「健
二さ
ん」 思考を切り離させる、少年の声。向けられる瞳には先ほどよりも強い何かがこめられているように見えて一瞬押し黙った佳主馬だ
が、臆面には出
さずにただ前方を歩く女性達を指差した。 「夏希姉ちゃんたち、先行っちゃってるよ」 「え?
うわ、結構離れちゃってる! 急ごう、佳主馬君!」 何故そんなに慌てる必要があるのか。 ふとそう思った
が、そのすぐ後に彼が誰に対して想いを馳せているのかにはた
と気づき、今度は溜息を表に出す。 「そんな焦んなくたって、別に夏希姉ちゃん逃げたりしないよ」 行きに
通ってきた朝顔畑が近づいてき
た。大半が既に花弁を俯かせ、紫色の蕾状のものがいくつも垂れ下がっている。 祖母が亡くなったのはつい数日前。未だに実感がわか
ないが、それで
もいなくなってしまったことには変わりない。捻くれているつもりはないが、余り大勢で集まりたくない少年の性格をわかってか、祖母は話しかけるときはたい
てい二人きりのときに声をかけてきた。 話すことは他愛ないことばかりだった。 だが、その中に大切なこと
が含まれていたのだと、振り
返ってみて思う。 「佳主馬君?」 視線を空から大地に移し、整備されていない道に多数の石ころが転がって
いるのを見ながら歩いていれ
ば、不意に青年から声をかけられる。 「なに?」 「いや、なんか機嫌悪い?」 「はぁ?」
機嫌を悪くするようなこと
をされた覚えもないし、悪くした覚えも無い。語尾を上げて、少し眉根を寄せた視線を向ければ、青年がたじろいだ様に距離をとられた。 「気
のせい
だよ。むしろ、今の健二さんの言葉に気分悪くなった」 「え?! ご、ごめんっ!」 「謝るくらいなら初め
から言わないでよ」 追
い討ちをかけるように言い放てば、目に見えるほどの落ち込みを見せ、その姿に今一度溜息を吐く。 「健二さんって、ホント変だよ
ね」 先
ほどまで雷の件で思考を巡らせていたかと思えば、ちょっとした言葉ですぐにたじろぐ。 周りが見えていないのかと思えば、今のよう
に少年自身気づ
いていない変化に気づいて声をかける。 「変、かなぁ……」 「変だよ」 きっぱり
と言い放って視線を前に戻せば、先ほど確認し
た以上に距離の離れた夏希達が、ようやく二人と離れているのに気づいたらしく、歩みを止めて待っているのが見えた。 「ほら、行か
ないと」 声
をかけながら自ずと歩む速度を上げた矢先。 「「あ」」 少年と
青年の声が交わる。 「聞こえた?」 何
が、とは聞かずに踏み出したままの足を止めて青年を見上げれば、彼も何故か微笑みながら頷きを返した。 「うん。雷の音、だった
ね。夕立、来るん
じゃないかな」 同時に聞こえた雷の音。青年が憶測のままに発した言葉で、何処となく湿気が高まったような気もするのだから、不思
議だ。 「だっ
たら急いで戻らないといけないんじゃない? 濡れたくないし」 「そうだね」 合わせるつもりは互いにない
が、自然と二人は歩を進める。 遠くの空から聞こえた、雷の音。 今は二人が歩む度にたつ、石の転がる音。
朝顔畑の入り口を過ぎたところで、佳主馬はチラと
健二の顔を見た。 穏やかな笑みを携えたその眼差しは、又従姉に向けられており。 ちくりと痛んだ胸を、気
づかれないようにそっと握り締
める。 手に入ることは無いのだろう。 だからこそ、欲は加速度を増して。 ほ
んの数センチ先にある手を握ることも、無
い。 微かに歪んだ表情を見たのは、未だに花弁を開いていた僅かな朝顔。 (雨、降らないかな……) 近
づきつつある巨大な入道
雲。 盛大に降り出した雨ならば、仮に小声で呟いても掻き消してくれる。 閉じ込めている言葉が、溢れ出て
しまっても。 「行
こう、佳主馬君」 俯き気味に歩いていた少年の手が、乾いた手に取られる。驚いて顔を上げれば何の気なしに彼の手を取った青年が笑
みを湛えたまま
小首を傾げてきた。 「元気ないけど、疲れた?」 「……べつに、疲れてない。けど、恥ずかしいから手、離
してよ」 小さい子
じゃないんだから、と付け加えれば苦笑と共に手が離れる。 「うん、ごめんね。なんか、繋ぎたくなっちゃって」 離
した手を自身の頭に
持っていって、気恥ずかしげに掻きながら青年が呟いたのを背けた視界の端で捕らえ、佳主馬は前を歩いていた彼よりも先へ身体を進ませた。 「……
やっぱり、健二さん変」 抜き去り際にそう発して、そのまま彼を置いて行かんばかりの勢いでさっさと歩けば、無様な足音を立てなが
ら青年が彼に追
いつこうと早歩きになる。 「へ、変って言わないでよ」 「変なんだから、仕方ないじゃん」 他
愛ない会話を、すました表情のま
まで。 気づかれてはいけないから。 遠くで鳴る雷のようになっては、いけないから。 「健
二さん、置いてくよ」 「も、
もう置いていこうとしてるよね?!」 朝顔畑を通り抜けながら、口元が緩むのを抑えきれずにいる少年は、その顔を誰にも見られない
よう地面を眺め
たまま歩を進めた。 ――fin――
アトガキ
09/10/31ショタスクラッチ参加時のペーパーに載せていたものです。自分で納得いってないシナリオを作ることが多いですが、これもそのひとつ。
また、このとき丁度スランプ入っていたのでそのリハビリがてらに書いた覚えがあります。
まぁ、ケンカズでこういうシナリオ構成になるのは多いよね、ってことで。
佳主馬は可愛いとカッコいい派に分かれると思いますが、皆さんはどちらなんですかねぇ・・・ボクはどちらもウマーですが。
ただ、言いたいのはあくまで「男の子」だってこと。あの気の張り方とか、その辺りを曲解しないように日々考える次第ですね。
まぁあまり多く語っても致し方ありませんので、このあたりで・・・
10/07/16 伴和紗 拝